あなたとあたらしいあしたへー京王グループ

笑顔を振りまきながら、お客様にこのスローガンを語りかけることを、

そのときまで本気で夢見ていたのである。

説明会の資料を渡され、会議室に入ると、

すでにそこでは多くの応募者たちが説明会の開始を待っているようであった。

説明会開始予定時刻になると会場はほぼ満席。

200人以上はいるであろう。

土日２日間に３回ずつ計６回開催されるわけだから、

どれほどの応募者がいることか！

前方スクリーンには京王電鉄の企業活動がドラマチックな演出で映し出されている。

京王プラザホテル、京王プレッソイン…地味な会社かと思いきやさにあらず。

デパートからホテル、レストラン、コスチュームまで、京王ブランドはじつに

広範な事業を展開しているのである。

渡された資料をパラパラめくると、先輩社員たちの活躍ぶりが、

入社当時の顔写真とともに載っている。当時から変わらぬ者あり、

面影もないほど激変した者あり。

わたしも１０年後にはここに載っているかもしれないなあ、

ひょっとして社長になってたり、むふむふ。

前方スクリーンのムービーが終わり、辺りは厳粛なムードに包まれる。

女性社員がツカツカと演壇に歩みよると、丁重な態度でわれわれに

歓待のメッセージを発する。

わたしも居住まいを正さずにはいられない。

彼女はじつに淡々と選考の流れを説明するのだった。

個人情報の取り扱いについての条文を上から順にひとつずつ

噛み砕くように読み上げるのだった。そして最後にこれら条文に

同意したことへの署名をわれわれに求め、同意できない場合は

この会場から速やかに去るよう勧告するのだった。

どうして聖蹟桜ヶ丘くんだりまで来て、自分の個人情報をあか

したくないから家へ帰るなどと強情がはれようか？

そもそも選考会に応募した時点で個人情報をあかしまくったでは

ないのか？

ここはどんな個人情報をあかすことになろうとも、説明会のすべての

メニューをこなしてやろうじゃないかと力強く署名。

その紙が回収されていくと、次は人事部課長補佐の方が演壇に

登場。京王が求める人材を熱い語り口で語りはじめた。

わたしは聞き逃すまいと身構えた。

その一主体性をもって積極的に行動できる人…、ふむふむ…、

その二世の中に斜にならず真摯な姿勢で向き合っている人…、

なるほど…、

その三人柄に温かみがある人…、ほう…、

その四京王が好きな人…、…、

やんぬるかな！

なにひとつわたしに当てはまらないのだった。

人事部課長補佐の方からこの件に関しては同意できない

場合は速やかに会場を去れとのご指示をいただくことは

できなかった。

脱落者が出るとしたらまずこの時点ではないのか！

わたしは心の中で強く主張したが、その声は課長補佐の方に

届くはずもなかった。

次に演壇に現れたのは、中途入社し、今年１年目の先輩社員のお話し。

彼が何を語ったか、意欲の減退とそれにより蒸し返された

眠気の中で聞いたため、いま思い出すのは難しい。

それが終わると１０分間の休憩。トイレが混んでいるから、

ということで、社員の方に引率され、他の階のトイレへと行列を

成して移動する光景ははたから見たらさぞや奇観であったろう。

非常階段のドアから１階下の廊下を出ると休日のため真っ暗。

トイレの光に列は消えていく。

引率してくれたのは、ビルの入り口でわれわれを迎えてくれた

あの重役と思しき方。

彼はトイレの入り口でも温かい眼差しでわれわれひとりひとりを

トイレの中へ導いてくれるのだった。

わたしは用をたしてから鏡の前で身だしなみを整えるなどぐずぐず

していたので、トイレの中は個室で大をしていると思しき人物とふたりだけ。

休憩時間がそんなにないことを思い出し、わたしは急に焦り出す。

あの重役の方はまだいるだろうかと恐る恐る出ると、よかったいない。

いや、いた！

薄暗い廊下の向こう、非常階段の入り口で、トイレに残った者の出来を

じっと待っているのだ。ずっとこちらを見ながら。

その温かい眼差しがなぜか哀れみを注ぐような眼差しに見えてくる。

わたしは、すみません…と消え入るような声を発しながら目を伏せうなだれ、

彼の前をすごすごと通り過ぎた。

とてつもなく悪いことをしてしまったというような卑屈な体で。

なおも個室にこもる人物はどんな面下げあの前を通過するのだろうか。

会議室に戻ると、本日最後のメニュー筆記試験。まあ、なんとかなるだろう、

という気分だったが甘かった。わたしはこれまで数々の試験をこなしてきた

つもりだが、それは見たこともないほど煩雑なものだった。すでに睡魔で

機能停止寸前の脳にそれをせよと命ずるのは酷すぎた。試しに例題を

やってみると３問中１問もあっていないのには愕然とした。やり方がわから

ない方いらっしゃいますか？と気を利かせ問うてくれるのはいいが、

その時点でわからないのはやり方というより問題そのものではないのか？

わかりませんという申し出はわたしアホなんですという告白に等しい。

スピードが問われるので、運を天に任せ全問回答。正確さについて

は保証の限りでない。

最後作文のテーマは鉄道業界が少子高齢化時代にできること。

わたしは猛烈な勢いでしたため、残り２０分は放心。

最早早く帰れればそれでよし。

帰りも出口であの重役と思しき方の労をねぎらうお言葉。

会社員の鑑のような御仁である。

しかしもう二度と会うことはあるまい。

わたしは京王電鉄株式会社への限りない嫌悪感を抱え駅に向かう。

しかしどんなに京王電鉄株式会社を嫌っても京王電鉄を

利用する以外帰る術がないのである。

と、わたしはここで京王電鉄株式会社の恐るべき計略に気づいた。

なぜ、書類選考で事前に説明会参加者を厳選することができるにも

関わらずかくも大勢の者が招かれたのか。

それは、聖蹟桜ヶ丘への京王電鉄利用者を増やすためではないのか！？

あれだけの参加者があれば、社員の休日手当ては余裕で出るに違いない。

わたしは自宅と聖蹟桜ヶ丘の往復で620円という金を京王電鉄株式会社に

払ったのだ。

恐るべし！恐るべし、京王電鉄株式会社！

その後しばらくして京王電鉄株式会社から次のようなメールが届いた。

【重要】1次選考結果のご案内（京王電鉄株式会社）

ススム様

京王電鉄株式会社　人事部採用担当でございます。
先日は弊社総合職（正社員）社会人採用　会社説明会・1次選考会にご参加いただきまして
誠にありがとうございました。
選考の結果、今回はご期待に添えない結果となりました。
何卒ご了承賜りますようお願いいたします。

なお、エントリーの際に弊社ホームページの画面上でもご確認いただいているとおり
ご応募フォームにご登録いただいた内容や選考における判定内容に関する情報の開示は
いたしませんのであらかじめご了承ください。
また、弊社は保管期限を過ぎた個人情報を第三者の目に触れないように適切に削除いたしますので、
ご安心ください。
（個人情報の取り扱いについて）
http://www.keio.co.jp/recruit/
privacy/index.html

弊社に興味をお持ちいただき、選考に臨んでいただけたことを心より感謝しております。
本当にありがとうございました。